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1967年夏の思い出 5

 投稿者:ケンタキー  投稿日:2016年 2月11日(木)16時43分54秒
  8月16日の朝、私は、河口湖駅の富士、富士宮駅、本栖、根場行きのバス乗り場で、ワイワイ賑やかに騒いでいる女の子達5人の横で、富士駅行きのバスを待っていました。この5人組の中に、この夜、西湖ユースで出会うことになる久保田さんが居たのです。駅前はシーズンとあって、登山客、ハイカーで随分と賑わっていました。私が乗ったバスには5人組は乗りませんでした。私は紅葉台入口で降り、約20分程の道のりで紅葉台に着きました。この日はあいにく富士山は頂上付近に雲がかかり、残念な気持ちになったのですが、鬼ヶ岳、十二ヶ岳を眼前にして西湖に迫る青木ヶ原樹海が大変心に残りました。そして紅葉台を下りる時は、それはそれは長く伸びた富士のすそ野を眺めて、今さらのようにその雄大さに感動してしばらく立ち止りました。氷穴、風穴を見て回って西湖ユースに着いたのは5時頃でした。洗濯を済ませて夕食をとっていると、何か見覚えのある女の子達が食堂に入って来ました。そうです。河口湖駅での5人組でした。彼女達は根場行きのバスに乗って直接この地を訪れ、いろいろと探索したのでしょう。
 今私は当時書いた紀行文をもとに書いているのですが、「思い出 2」で、西湖ユースの翌日、遠照寺ユースに泊まったと書きましたが、これは私の記憶違いで、紀行文によると、翌朝、西湖は快晴で、青木ヶ原が迫る西湖Y.Hから富士山がくっきりと見えました。この日はパノラマ台に登り、本栖湖の国民宿舎に泊まり、翌18日、遠照寺で和尚さんから西湖Y.Hの話を聴いたという次第です。
 一週間の富士五湖めぐりの旅は、西湖Y.Hでの最良の夜とともに、天候にも恵まれ、我が18歳の素晴らしき思い出となっています。1967年西湖ユースホステルのペアレントさん、スタッフの皆さん有難うございました。
 
 

ホステラーさん、ヘルパーさん

 投稿者:三浦和雄  投稿日:2016年 2月10日(水)00時48分34秒
  思い出の中で楽しむことが、心を豊かにして行く。暖かい気持ちに包まれて行く。西湖ユースを訪れてくれた多くの人にこのページを訪れてもらいたいと思います。  

1967年夏の思い出 4

 投稿者:ケンタキー  投稿日:2016年 2月 8日(月)18時13分31秒
  8月16日、西湖Y.Hの夜は最高にして、不思議な夜でした。この夜、3人のホステラーとそれぞれに言葉を交わしました。一番気が合ったのは島根からの青年でした。高校生の私よりも少し先輩だったと記憶しています。映画の話から、ビートルズ、ストーンズなどロックの話で花が咲き、更にお互いモダン・ジャズが好きだと判ると、もう嬉しくて嬉しくて。2人目は「波の塔」の話しをしてくれた久保田さん。そして3人目のホステラーとの会話が驚きの連続で、ビックリぽんでした。それは東京の女子大生で、私が和歌山から来たと云うと“私も和歌山だョ”と云い、和歌山の高校はどこと聞かれ、“向陽です”と答えると、“国語教師の池田仁三郎は私のおじなのョ”と云うから驚きです。入学した1年目に古典を教わった先生だったのです。更に兄が市内の○○でレコード店やってるのと云うから、これまた驚きで、私がまさにこの店でいつもレコードを買っていたのだから。驚きはこれで終わりませんでした。この年の12月だったでしょうか。その小さな店にレコードを買いに行くと、居るではありませんか。西湖の女子大生が。丁度店番を任されていたようで、冬休みで帰省していたとのこと。偶然とはいえ、本当に本当に驚きました。何かこのようなウソ臭いテレビドラマを観たことがありますが、現実にもあるものなんですね。今、思い出しても不思議な出来事でした。

 

三浦和雄さん、ありがとう

 投稿者:ケンタキー  投稿日:2016年 2月 5日(金)18時53分47秒
  台風災害があったとは、全く知りませんでした。申し訳ありません。
私は現在リタイアして沖縄に移住して暮らしています。
余り活躍する事もありませんが(笑い)、もう少し西湖ユースの思い出話させてくださいね。
三浦和雄さん、お元気で!ご活躍ください!!
 

ケンタキーさん、ありがとう。

 投稿者:三浦和雄  投稿日:2016年 2月 5日(金)16時36分5秒
  1967年の夏は・・・西湖の台風災害があった次の年ですか。私は5歳でした。前年の昭和41年は周囲の民家(根場地区)は全滅で、西湖YHは、救助のための施設になっていたと思います。復旧して新たに歩み出していたんですね。災害後の西湖YHに若者が集まってくれ、YHで楽し思い出を創ってくれている。今も同じ富士山がその場所を見守っています。
昨日、新聞記者さんからメールが入っていました。樹海について話を父に聞きたいとのこと。松本清張の「波の塔」執筆に関わる取材の話でした。久しぶりに書き込みやらメールやらで心が少し豊かになっています。
ケンタキーさん、これからもお体にご注意され活躍してください!!

http://www8.plala.or.jp/MiuraKazuo/

 

1967年夏の思い出 3

 投稿者:ケンタキー  投稿日:2016年 2月 5日(金)11時15分3秒
  昭和42年8月ホステラー・デビューの私(18歳)は、西湖Y.Hの前夜は富士吉田Y.Hに泊まりました。その時一緒になった兵庫県のホステラー(男性)が私に、初めてのミーティングの感動話をしてくれました。その昨日の今日8月16日の西湖Y.Hのミーティングは忘れられません。今宵会ったのが初めてではないようなホステラーのみなさん。東大に留学していると云う台湾の男性。フランス映画「ロシュフォールの恋人たち」(監督・ジャック・ドミー、音楽・ミシェル・ルグラン、主演・カトリーヌ・ドヌーヴ)が最近観た映画で一番良かったと話された旅を愛する年配のおじさん。そして女子大生たちのみんなの心がひとつになり、インスピレーションクイズ、愉快だったジャンケン遊び、そしてフォークダンスで最高潮となり旅の疲れなど忘れ、一時間半のミーティングはアッという間にフィナーレ。灯りが消され、みんな輪になって手をつなぎ、リーダーが今宵会えた喜びと別れの言葉を静かに告げる中を「マイム・マイム」をハミングしながら終えて行ったのが印象に強く残っています。当時私が書き残している紀行文には、「富士吉田Y.Hでの兵庫県のホステラーが話してくれた言葉を思い出した。」と、ミーティング後の締めにこのように記るされている。  

1967年夏の思い出 2

 投稿者:ケンタキー  投稿日:2016年 2月 3日(水)10時03分52秒
  昭和42年8月16日。小説を書いていると話してくれた女子大生の久保田さん。あの時、清張の題名が思い浮かばないのだけどこの青木ヶ原でヒロインが自殺するのよと教えてくれました。私はその時まで13冊の清張の本を読んでいたけど判らずじまいで、翌日遠照寺Y.H.のミーティングでペアレントの和尚が、松本清張とその時清張を乗せたタクシー運転手(実は西湖Y.Hのペアレント)の話をして下さり、「波の塔」だと知った次第で、改めて前夜の西湖Y.Hのミーティングと久保田さんの顔が浮かんできたのを思い出したものです。来春は社会人になるとおっしゃていた久保田さん、小説完成させましたか?そして和尚は西湖や白糸の滝が将来俗化されることの危惧を語っておられたのが印象的でした。  

1967年夏の思い出

 投稿者:ケンタキー  投稿日:2016年 2月 2日(火)20時00分27秒
  現在66歳の私が和歌山の高校生の時に、富士五湖めぐりの一人旅の途中、この西湖ユースホステルに泊まり、素晴らしいミーティングを体験しました。フォークダンスやいろんなゲームをしたあと、東京の女子大生と松本清張の話で盛り上がり、彼女は当時小説を書いていてラストをどのように締めようか悩んでいた話が印象的でした。  

広島の災害の日に・・・

 投稿者:カタマのお兄ちゃん  投稿日:2014年 8月22日(金)00時17分43秒
  偶然が重なったとき人はそれを必然なのだと考えてしまう。 そのような映画のセリフを思い出します。
今日、飯野ちゃんから「西湖memory」のDVDが届きました。
初めて西湖YHに泊まった時、炬燵に入り、お茶を飲みながらペアさんからこの災害の話を聞いたと思います。 翌年の春だったか、魚眠荘の脇から山に登り、根場の村を夕日に染まる富士山とともに眺めたことを思い出しました。(確かこの時の写真があったはずです・・・)
この災害あから僅か3年後に私たちは初めて訪れたのです。 今、考えますと悲しみのまだ癒えていなかったはずなのに皆さんの笑顔の想い出は40年以上も経った今、改めて私に感度を伝えてくれました。皆さんにお逢いできたことを感謝しています。
上手く伝えられないかもしれないし、理解されないかもしれませんがせめて私の子供や孫にこのDVDを見せて、わが青春を語りたいと思います。
本当にありがとうございます。  いつかきっともう一度逢いに行きます。
 

飯野さんに再会です

 投稿者:三浦和雄  投稿日:2014年 8月14日(木)10時56分52秒
  今日飯野さんが我が家を訪ねてくれました。かれこれ40年ぐらいたっています。本当にひさしぶりでした。飯野さんはパワフルで爽やかな空気を我が家に届けてくれました。父も母も喜んでいました。昔話が懐かしく、あの頃は今より不便だが、それを楽しむ事ができた豊かな時代だったと実感しました。ありがとうございました。飯野さん今度は家族で、思い出の場所を訪ねてください。  

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